sam's diary - 日々のとりとめもないことをつらつらと

実名でやっているFacebookでは書き辛いことをここで吐きます

国粋主義者が靖国神社を重視する意味が分からん

 先般の都知事選で私が個人的に、絶対に当選して欲しくないと思っていた国粋主義者のT候補は、安倍首相の靖国参拝に強く固執しているようである。彼に限らず、国粋主義者靖国参拝に強くこだわる。それどころか、一般の人の中で、単に日本に対する愛国心が平均以上にあるという人ですら、最近は靖国参拝に肯定的な意見を持っている人が多いのは誠に理解に苦しむ。

 そもそも、靖国神社というのは明治維新の象徴である。そしてその明治維新は、欧米列強の帝国主義、つまり、植民地主義に対抗するための礎を築いたものとして歴史的に低くない評価はされている。しかし、その実態はどうだったかと考えると、突き詰めて言えば長州藩によるクーデター、クーデターが聞こえが悪ければ、長州藩による革命であり、それも民衆による革命ではなく、武士と言う特権階級が、武士による既存の政権を倒したという、単なる権力闘争の結果としての権力掌握でしか過ぎない。長州藩が狡猾であったのは、もしくはラッキーであったのは、薩摩藩を巻き込んだりして、単なる長州藩によるクーデターには見せなかったこと。薩摩藩と組むきっかけを作ったのは自身ではなく、より先見の明があった坂本龍馬であるから、その意味ではラッキーである。長州藩が狡猾であったのは天皇という、その当時完全に地に堕ちていた権威を再利用したことである。

 完全に地に堕ちていた権威を利用するには、その権威を高めなければならない。そのためにあらゆる策を講じ、その一つが靖国神社なのである。したがって、靖国神社には「お国を守るために戦った人を祀る」というより、「明治天皇を守るために戦った人を祀る」という意味がはるかに濃い。その証拠に、日本の戦死者であっても、戊辰戦争旧幕府軍の戦死者は対象外である。西南戦争西郷隆盛も対象外である。よく、太平洋戦争のA級戦犯合祀の是非に関して、戦勝国の戦死者も戦敗国の戦死者も平等にという議論がなされることがあるが、ならば、戊辰戦争の旧幕軍や西南戦争西郷隆盛も祀るべきではないのか?

 突き詰めて言えば、明治天皇以降の天皇家とは、それまでの天皇とはまったく異質なものではないか。明治天皇には替え玉説もある。自分は明治天皇の替え玉説の真偽に関して確たる意見はないが、南京大虐殺は存在したかどうか分からないと言う国粋主義者は、明治天皇の真偽についても調査すべきではないのか?

 明治天皇という、崇拝すべきものを作り上げ、その権威を基に長州藩が富国強兵を進め、帝国主義に邁進した、それが明治維新なのだと思う。そして、それを国民に周知させ、富国強兵のためには命も明治天皇に捧げないさいよという象徴が靖国神社であると思う。

 私は明治維新を否定する気はない。明治維新がなければ欧米列強の植民地にされていただろうということも頷ける。それを長州藩が主導し、明治政府天皇の威光を利用した傀儡政権であっても、その時代には必要であったと思う。とは言え、その体制に今、戻ることには強く反対したい。富国強兵と言えば聞こえは良いが、要は帝国主義植民地主義であり、それによって他国に多大なる痛みを与えたことは事実である。戦争に負け、日米安保によって、軍事的には米国の傘に入りながら、世界一平和を愛する国を目指すというのが、いわゆる戦後レジームであると思うし、それを変更しなければいけない理由はないものと信じる。