sam's diary - 日々のとりとめもないことをつらつらと

実名でやっているFacebookでは書き辛いことをここで吐きます

靖国問題について思うこと

僕は安倍晋三なる男は嫌いである。理由は様々あるが、端的に言えば中身がないということに尽きるだろう。それに加えて筋が通っていない。理屈が納得いなかい。ナイーブな人から見れば、何となくもっともらしく聞こえるのかも知れないが、モノの裏の裏のそのまた裏まで読もうとしてしまう、ひねくれ者の僕にとっては、どうにもこうにも納得がいかない。まあ、結論としては、まったく尊敬できない人物であり、そんな人物が一国の政治のトップである総理大臣を務めていることに対する苛立ちが、嫌いな理由であろう。

彼の靖国神社参拝の理由も彼らしい詭弁であるが、でも、日本を見渡してみると、安倍にかかわらず、靖国神社に参拝することに対して「よくやった!」的な反応が多く、靖国神社を参拝する、崇拝することが愛国者の証であるかのような風潮が強いのに唖然とする。

私は中学から大学までの10年間私立の学校で過ごし、この間君が代は歌ったことがない。国旗も、少なくとも中高の6年間は掲揚した記憶がない。もしかすると大学は入学式や卒業式といった行事では国旗は掲げられていたかも知れない。そうでないかも知れない。だから、国旗、国歌なるものにはほとんど無縁で過ごしてきた。ただ、否定した訳ではないが、肯定もしなかった。だからと言って自分のことを非国民だと思ったことはない。海外で生活をしたこともあり、また、外国人と接する機会も一般的な日本人の数百倍、数千倍あればこそ、日本の良さや日本人の良さも平均以上に理解し、日本と言う国、日本人と言う国民に対する愛情の年も強いと思う。ただ、そんな私でも、靖国神社は、その存在自体を全体として肯定することは出来ない。

靖国神社を論じるために、靖国神社についてウィキペディア等で調べた。この神社は1869年、つまり明治2年に創建されている。その目的は、日本国内外事変や戦争等、国事に殉じた軍人、軍属等の戦没者を「英霊」と称して祀ることにある。ただし、ここに大きな「制限」がある。それは、天皇を中心とする勢力を「官軍」とし、官軍に属する者のみを対象とするということである。したがって、戊辰戦争における新撰組を含む旧幕府軍奥羽越列藩同盟軍の戦死者は対象外である。西南戦争における西郷隆盛らの薩摩軍戦死者も、官軍に盾ついた存在であるため、対象外である。

上述の制限の一方で「例外」もある。幕末の志士であり、明治政府の樹立に貢献したものの、志半ばで倒れた吉田松陰や坂本竜馬、高杉晋作等は維新殉難者として合祀されているそうである。彼らは戦没者ではない。また、死亡当時は、江戸幕府に対する「反乱分子」との扱いであったものが、明治政府となって、官軍から見た殉死者ということで合祀となったようだ。

このような制限や例外を見るにつけ、靖国神社は、明治政府という極めて脆弱な政府を天皇という存在によって箔付け、お化粧する目的で創建されたものだということがよく分かる。そもそも天皇という存在は、江戸時代はもとより、そこから遡って1,000年前後、政治の表舞台にいなかった。皆が天皇というお墨付きをもらいたいがために天皇という存在を重用したのみで、単なるお飾りである。象徴的な存在の天皇を頂点に置くという体制を変えて自らが天皇的な存在になろうとした唯一の人物は織田信長であり、その試みも失敗した。ただし、天皇はずっとお飾り的な存在であったことは事実である。

そのような天皇による表面的には親政を実現しようとしたのが明治維新であり、その主役が明治天皇である。したがって、天皇の権威を徹底的に高める必要があった。その一環として創建されたのが靖国神社であろうと考える。その点、同じ神社でも、伊勢神宮出雲大社とは根本的な歴史や重みが違う。靖国神社は、単に天皇の権威のため、天皇のために死んでいった者を祀る神社ということになろうか。

さて、近年、中韓が怒っている靖国問題は、一応、「A級戦犯が合祀されている靖国神社に参拝することはおかしい」という理屈がある。とは言え、日本にいちゃもんをつけるのは彼らの国内的な不満を逸らせる目的が大であるから、仮にA級戦犯分祀したところで、彼らが総理大臣の靖国参拝にクレームを付けなくなる保証はないのであるが、しかし、仮にA級戦犯分祀したら、靖国はあくまで国の方針で戦争に行かされて、結果的に命を落とした人を祀る戦没者慰霊施設であるという申し開きは出来るだろう。戦争をおっぱじめた輩と、その結果、命を落とさざるを得なかった国民を明確に区分するからである。

ところがである。上に説明したような「天皇のために命を落とした」という条件を考えると、合祀されているA級戦犯14名というのは、その目的に合致すると言えなくもない気がする。

というのも、東京裁判によるA級戦犯の死刑というものは、これは実質的には日本とアメリカとの裏取引である。本来的には日中戦争や太平洋戦争の責任は昭和天皇にあることは明白である。いくら軍部が独断で戦争を進め、泥沼に入って行ったと言っても、組織の意思決定構造上、最大の責任が昭和天皇にあることは否めない。そのことを昭和天皇もよくご理解され、彼は自分は処罰を受ける覚悟でいた。しかしながら、GHQによる戦後統治をスムーズに進めるには天皇の存在が必要と考えたマッカーサーが天皇を温存することを決め、その人身御供としてA級戦犯が死刑されたのである。その意味では彼らは、自らの死をもって昭和天皇の命を守ったという理屈が通らなくもないと思う。

とは言え、A級戦犯を殺して天皇を生かすということは日米間での明確な合意事項である。第二次世界大戦の罪をすべてナチスとヒットラーに押し付け、その代わりに、ナチスやヒットラーを崇拝することは法律的にも禁じるといった徹底的な体制をとるドイツに比べて、日本はかなり情緒的であり甘いと感じる。そういう単細胞な日本人は、戦争礼賛の映画を観て、感激したりする。アホか?これは中国や韓国にとやかく言われるから止めるとかそういう問題ではなく、日本とアメリカとの国と国の取引なのだから、A級戦犯をどういう形であれ崇拝するなんてことはやってはならないことだと思う。

数年前、某省庁のキャリア官僚とこの話について議論したら、「分祀」というのは事実上不可能だと言われた。彼曰く、一度合祀してしまったら、確かにそれぞれの英霊は何柱という風にカウントされているが、実質的には一つであり、不可分である、だから、分祀は出来ないし、する必要がないということであった。分祀が出来ないのであれば、A級戦犯がどのような形であれ祀られている施設には、少なくとも日本の公人は参拝すべきではないと考える。

そもそも、本当の意味での戦没者は、特に日中戦争や太平洋戦争で戦死した人々の遺族は、彼らが戦死せざるを得なかった張本人たちと一緒に合祀されることを快く思うのだろうか?確かに総理大臣の靖国参拝は歓迎するかも知れないが、東条英機と一緒にするなという人はいないのだろうかと不思議に思う。

最後に、天皇のために命を落とした人を祀る神社を昭和天皇であれ、今の天皇陛下であれ、望んでいるとは考えられない。特に、昭和天皇は、A級戦犯の合祀に対して強い不快感を示していたことが明らかになっている。A級戦犯の合祀以降、昭和天皇も今の天皇陛下も、靖国参拝はなさっていない。それがすべてであろう。

戦没者という意味は、特に太平洋戦争のような日本国土が焦土と化した戦争の場合、何も軍人や兵隊さんのみに限らない。空襲や原爆によって多くの命が失われた。国家総動員法においてはすべての国民が戦闘員であった筈であり、だからこそあのような無差別空襲が行われた訳である。したがって、軍人、軍属等のみを祀りあげ、神と奉ることへの不公平感も強い。

こういう話は本当にFacebookでは出来ない。自分の意見を広めるつもりも、他人に押し付けるつもりもない。しかしながら、安倍の靖国参拝を多くの人が歓迎する今の日本の風潮に強い不安を感じる。