sam's diary - 日々のとりとめもないことをつらつらと

実名でやっているFacebookでは書き辛いことをここで吐きます

調子に乗って再び「靖国問題」を

靖国問題を書いたら、何故かアクセス数が数倍になったので、調子に乗ってまた靖国問題を。

靖国問題の争点はどうやら三つあるようです。

第一にA級戦犯合祀問題。元々、A級戦犯によって処刑された人物やなんらかの形で東京裁判の過程で死亡した14名は靖国神社に合祀されていなかったが、どこかのタイミングで合祀が行われた。しかも、それが判明するのが1年後という、まあなんともなぁという感じ。確かに、戦争に駆り出されて命を落とした人を祀るのは良いとしても、その戦争の張本人であるA級戦犯も合祀されている靖国神社に参拝するってのは如何か?というのが争点である。中韓基本的にこの理屈で反対しているが、それだけでもなさそうというのは後述する。一方で今般の安倍の靖国参拝で“Disappointed”というかつてない強さで批判をしたアメリカについては、この路線での(強くはないが)反対ではあるものの、中韓とは注目点が少々異なるように思える。

第二次世界大戦連合国枢軸国の戦いだとか、日本に関係する戦争で言えば日中戦争も太平洋戦争もあるが、突き詰めて言えば、日本を負かしたのはアメリカである。そして、アメリカが呼びかけてポツダム宣言やなんやかんやと仕組みを作り、ポツダム宣言を受諾させ、GHQによって統治させ、東京裁判もやって、最終的にはサンフランシスコ講和条約によって日本に独立を認めた訳である。この一連のスキーム、つまり、日本は東京裁判によって第二次世界大戦の決着を付け、これでやりましょうねとしたわけである。そして、日本はサンフランシスコ講和条約東京裁判の結果も受け入れているのである。なのに、それを否定し、東京裁判で、「平和に対する罪」を断罪されて死に追いやられたA級戦犯を祀るとは到底許せないというもののようである。僕はこのアメリカの考え方はもっともだと思うし、それは日本の政治家が理解すべきであると思う。

第二の問題は政教分離の問題である。これは、1975年に当時の三木首相が8月15日の終戦記念日公式参拝をした際に問題とされたことである。つまり、終戦記念日という公的色彩の極めて強い日に参拝するというのは、「政教分離」の原則に反するのではという論点である。僕が子供の頃記憶しているのは、靖国を参拝する首相がいつも記者に「公式参拝ですか?」と訊かれ、「私的参拝です」と答えるというもの。ただ、この私的参拝と公的参拝の区分はずっと曖昧なままのようである。正直言って、総理大臣や閣僚が参拝するのに、私的参拝もなかろうと思う。玉串料を個人で負担しようが、公用車を使用せずに参拝をしようが、公人は公人であり、在任期間中は365日24時間公人だと思う。しかし、最近ではこの政教分離の議論はあまりされないという印象。というのも、政教分離が論じられたのは主として国内であり、与党の自民党に対して、反対することしか能にない社会党(当時)や、唯物論的な考え方を持ち、基本的に宗教を認めないとされる共産党がやいのやいの言っていた記憶がある。今や、野党なんてイデオロギーもなんもないし、単なる自民党劣化コピーのような党が、年末になると恒例の分裂騒ぎをし、もうどんな党があるのか訳分からんという状況であり、このようは政教分離の議論はほとんでなされない。だから、参拝する首相は堂々と、「内閣総理大臣 小泉純一郎」といった署名までする。

第三の問題はもっともリベラルな考え方であり、つまり、靖国思想そのものが戦争を肯定し、お国のため、天皇陛下のために命をなげうつのが美しいという洗脳のもとで、兵隊さんたちが「今度は靖国で会おう」と言いながら戦地に向かい、そこで命を落としていったという、この思想そのものに問題があるということである。実は私の意見はこれに最も近い。特定の目的のためには自分の命をなげうってでも相手を死にやり、でも、その結果、自分は祝福されるという考え方と、アルカイダ自爆テロには妙な共通点を感じる。そして、アメリカをはじめとする西洋諸国もこの考え方に近いという気がする。というのも、靖国神社は英語では“War Shrine”と呼ぶ。つまり、戦争を礼賛する神社というニュアンスがある。国を守るために命をなげうったこと、特にそれは国によって洗脳され、国によって命令されてやるものである場合、その亡くなったことを批判することは出来ない。しかし、そのような思想は批判されてしかるべきかと思う。

中国や韓国に反対されるからといって止めるべきではない。その通り。正論である。でも、中国や韓国に攻撃の対象とされる前に、自分で考えて、参拝しないという決断を、日本の政治家はすべきではないのか。しかも、靖国参拝なんかよりも、そして特定秘密保護法案を通すことなんかよりも、はるかに重要性の高い案件はあるのではないのか?安倍は知らない。というより、耳をふさいでいる。それは彼が欧米から国粋主義者の危険な政治家というレッテルを貼られているということを。そして、さしたる思想もなく、さしたる根拠もなく、ただタカ派路線を突き進む安倍がなんとなく日本の誇りを回復してくれそうという淡い期待で、応援し、彼の一挙手一投足を喝采する国民は、誠にレベルが低いと個人的には痛感する。