sam's diary - 日々のとりとめもないことをつらつらと

実名でやっているFacebookでは書き辛いことをここで吐きます

日本の金融機関について思う

 最近、家探しをしている訳だけど、キャッシュで買う訳でもないので、家を買うことを住宅ローンはいわばセットである。それでもって、この住宅ローンについて金融機関とやり取りしていると、日本の金融機関、というか銀行って駄目だなぁとつくづく思う。その理由について今日は毒を吐きまくることにする。

 今回の住宅ローンの件の前に、数年前の経験について話したい。それは確か10年程前だったかと思う。当時、昨年12月に完済した住宅金融公庫のローンが20年ローンのうち10年が残り、少額の銀行ローンが30年ローンのうち20年が残っているという状況だった。住宅金融公庫は固定金利であり、銀行ローンは変動金利。この固定金利があり得ないほど高い水準にあったため、変動金利による借り換えを検討した。当時、外資系金融機関に勤務しており、収入は充分。ただ、結論から言えば借り換えは出来なかった。その理由が誠に納得がいかない。というのも、担保価値が充分でないからという理由で借り換えが出来なかったからである。

 私が負っていた住宅ローンのバックにある住宅は、阪神大震災の1年前に芦屋市に中古で購入したもの。阪神大震災での被害は免れたものの、周りのマンションがぼこぼこと倒壊し、その後の復興で、これまたぼこぼこ新しいマンションが建ったという状況であった。要は需給が完全に緩んだ。したがって私のマンションの価値は大きく下がってしまった。これが借り換えが謝絶された最大の理由である。

 しかしである。私は充分な返済能力があり、現に住宅金融公庫の返済は1度も滞ったことがなかった。結局、住宅金融公庫のローンは20年一度も滞らず、完済した。銀行の住宅ローンももちろん、現時点で20年半、約定通り支払っている。しかし、そういった、1)現時点での返済能力や2)過去の返済実績はまったく考慮されない。銀行が見るのは、3)担保価値のみである。その表現が適切でないなら、1)や2)より3)が圧倒的に重視される。これっておかしいだろ?その姿勢でお前らバブル経済とその崩壊を招いたのではないのか?バブルの崩壊によって、ようやく、日本の金融機関も担保絶対主義から支払能力を重視するようになったのではないのか?

 そして、現在である。当初、自宅のみならず、賃貸住宅を併設するプランを検討していた。仮に個人の住宅を5,000万円で購入するとすると、1DKを2戸併設するとして、7,500万円~8,000万円のローンが必要となる。しかしながら、2戸分の収入がオンされるから、収入はその分大きくなり、単純計算すると5,000万円借りれるなら、賃貸併用では8,000万円でも借りられる筈である。しかし、現実には今後併設する賃貸住宅の家賃は収入には計算されないとな。変なの。個人の住宅で5,000万円借りるより、賃貸併用で8,000万円借りる方が、リスクは低くなるのにね。

 さらに、おかしなことに、社歴が3年とかないと借りられないらしい。つまり、転職と住宅購入を同時に検討している場合、住宅購入を先にしないと、3年間待たなければならないことになる。これも誠に時代にそぐわない。だから、住宅購入のタイミングに合わせて転職のタイミングを遅らせたりということが必要なケースも出てくる。

 そんなこんなで考えたのが以下のこと。

1) 日本の金融機関は相も変わらず担保至上主義で個人の返済を考慮しない

2) 同じ会社にずーっとずーっと勤務し続ける人が転職をする人よりも信用があるとみなす古い体質。実際は転職歴のまったくない人は実はリスクが高いのにね

3) ベンチャー企業の取締役といった経歴は絶対的にマイナス

4) 住宅ローンの審査は、書類提出だけで済んでしまう。これから返済する人と面談することもない代わりに、くだらない質問を不動産販売会社経由で投げかけてくる。仮にも数千万円貸すなら、面接して、こやつは返済する気があるかどうかを確認するべきではないの?

5) 住宅ローン商品は金利の上下や変動固定の違いはあれ、金太郎飴であり、まったく個性もなんもない

 住宅ローンですらこんな感じでは日本の金融機関、というより都市銀行は沈没するね。まあ、私が就職した頃と比較すると、銀行は合併に次ぐ合併で、銀行の数は減り、各銀行の規模は遥かに大きくなった。規模の経済性が活きる業種であるから、経営の安全性は高まったのだろう。しかしながら、銀行としての競争力は、安全性のみならず収益性であるし、その点で考えれば競争力は恐ろしく低いことは明白。日本という市場の魅力があまりに低いため外資による参入が極端に少なく、結果的に競争が厳しくないので生き残れているが、そんなお粗末な金融機関に依存せざるを得ない日本国民は、私を含めて、つくづく可哀そうだと思う。