sam's diary - 日々のとりとめもないことをつらつらと

実名でやっているFacebookでは書き辛いことをここで吐きます

まだ終わった訳ではないけど・・・

今回のW杯は、日本のGLは、二試合を終えたところで1敗1引き分け。三試合目のコロンビア戦に勝たなければ決勝トーナメント進出はない。また、勝ってもコートジボワールが勝てば、日本はGL敗退。ただ、仮にGL敗退しても最後に勝てば「最初の二試合の無様さを考えたら、よく巻き返したよね」という感じで、「健闘およばず」といった印象を日本人に残すだろう。ただ、その可能性は低く、8年前のジーコ・ジャパンのように、「後から考えたら、見どころって一戦目の先制点だけだったね」となる可能性は高い。そうなった時に、日本代表に対する世間のバッシングは相当なものになるであろうし、中でもザッケローニ監督、ならびに、ザッケローニ監督を選んだ、そして、途中でザッケローニ監督を更迭しなかった側に対するバッシングは特に強烈なものになるだろう。

 その際、「どうして日本のサッカーや日本人プレーヤーをよく理解しない外国人監督にするんだ」という批判がまたぞろ巻き起こるだろう。でも、問題の本質は外国人監督の問題ではなく、外国人監督に対するサポート体制とコミュニケーションではないかと思う。

 今回のW杯、二試合を終えて、日本のマスコミや評論家の論調は「ザッケローニの選手起用や作戦に問題があり、選手はよくやっている」というものが多いように思えるが、対する海外メディアや海外の選手や評論家の意見は「選手がダメ」というものが多いような気がする。ザッケローニ母国のイタリアは、「ザッケローニの熱意にもかかわらず、日本代表は酷い」という論調であったかと思う。世界的な見方は、この後者であると思う。したがって、日本代表や日本サッカー界はザッケローニを批判するよりも、もっと自己を省みる必要があるのではないかと思う。

 ザッケローニは今大会の成績如何にかかわらず、今大会限りのようである。新たな監督も外国人になる可能性は低くない。しかし、今回のようなことが続くと、まともな外国人指導者は日本監督を引き受けてくれないのではないかと懸念している。