sam's diary - 日々のとりとめもないことをつらつらと

実名でやっているFacebookでは書き辛いことをここで吐きます

安倍晋三はこれで歴史に名を残し

 1945年8月15日の敗戦以降、平和憲法を作り、70年近く平和を守ってきた日本。平和を守れた理由はいくつもあるが、重要なのは日米安保の存在と集団的自衛権の否定であったかと思う。自衛隊は決して競争力の低い「軍隊」だとは思わないものの、非核三原則のある日本では、核武装する敵国に対抗することは困難。したがって、否定的見解もあろうが、米国の核の傘に守られていることが重要であろう。しかしながら、最近ではその傾向は弱まったとは言え、長く「世界の警察」、それも自分たちの西部劇的勧善懲悪の価値観による警察を演じてきた米国には敵も多く、したがって、米国とは一蓮托生ではなく、戦闘とは無関係な部分で協力するというのが、極めて賢明な選択であったかと思う。

 その枠組みを変えたのが本日の安倍総理による閣議決定であろう。安倍は戦後レジームという枠組みも全否定しているが、安全保障面でも既存の枠組みを破壊しようとしている。それも国民投票改憲の是非を問うことも、風向きが悪いとなると止め、3分の2が必要なところを過半数で改憲しようとしたもののこれも困難となるや、とうとう閣議決定という姑息なやり方でやり遂げた。公明党は元々期待できない。彼らの絶対的な目的は連立政権にとどまることだから、安倍に「なら公明党さん、連立から離脱してもいいよ」となれば、引かざるを得ない。ただ、支持母体である創価学会員になんとなく、「頑張ったね」と思ってもらえれば充分である。そもそも安倍のイエスマンでしかなく、体裁を整えれば問題ない。

 僕は、米国は大好きな国だし、日本国籍と米国の市民権のどちらか一つ選択せよと言われれば、仕事とか収入ということを無視すれば、米国の市民権を選択するかも知れないような人物である。しかし、米国の過去における好戦的な姿勢は決してほめられるもんでもないと思っている。そう思っている国、人は、世界的に見ればマジョリティではないか。集団的自衛権と言っても、要は同盟国である米国が攻められたら日本も自営という名目で攻撃に出るということである。つまり、70年近くどこの国も攻撃せず、侵略もしてこなかった日本が攻撃されるケースと比較して、武力行使を可能とするトリガーが引かれる確率は格段に上昇する。それに比例して自衛隊の負担も格段に上昇し、自衛隊員の危険も同様である。

 端的に言えば、戦争を放棄する国から戦争をする国へと変える決断をした安倍。何年か後に実際に戦争が起こった時には、「2014年7月1日に安倍総理集団的自衛権を行使したことが、今回の戦争の大元の原因」と分析されるであろう。22世紀に日本と言う国家がまだ存在していれば、その時に歴史教科書には「21世紀初頭、安倍総理は、70年間堅持してきた戦争放棄の方針を放棄し、戦争が出来る方向にかじ取りを切った」と記載されるであろう。それはまるで、我々が「松岡外相国連を脱退し、日独伊三国同盟を締結し、戦争に突き進んだ」ということを近代史として学んだように。

 でも、安倍を戦争に駆り立てる動機はなんなんだろうかと思う。彼の支持基盤が戦争によってぼろ儲けするのだろうか。「積極的平和主義」という欺瞞を、日本国民アジア諸国も見抜いている。中国と韓国を除き、日本に対する否定的な見方はしていないが、それは中国や韓国が日本より酷いと彼らが認識しているからであり、日本が褒められる状況にないことは明らか。日本が褒められるのは、戦後70年弱の平和主義に他ならない。

 日本の将来のために、今日と言う日はしっかり記憶しておこう。なんて言ってたら日付が変わった。