sam's diary - 日々のとりとめもないことをつらつらと

実名でやっているFacebookでは書き辛いことをここで吐きます

Facebookで友達申請してみた

 僕が大学卒業後、いわゆる新卒で入社し、10年強勤務した企業。そこでの同僚は、今では結構、Facebookでつながっている。同期だった奴の中で、退職後も付き合いがあった人物や、退職後ほどなくして付き合いがなくなってしまったけど、Facebookで何らかの形で関係が復活した人物等々。残念ながらほとんどが男である。例外は唯一、3期くらい後輩の総合職の女性。不思議なんだけど、会社にいる頃はほとんど付き合いがなかった。食事に行ったことも数えるほど。一対一で食事に行ったことはない。だけど、なんだかよく分からないけどなついてきて、その女性が結婚退職し、ご主人の仕事の関係で海外に何度か住むようになっても、国内では年賀状、海外ではクリスマスカードの交換をしたりして、細々と付き合いがある。

 その女性の友人で、その女性より少しだけより仲良かった女性がいた。彼女とも特に一対一で食事したりということはなかったけど、だいたい男3女3くらいでよく食事に行った。彼女とは僕が会社を辞めて、ほとんどやり取りがなくなってはいたが、上述の付き合いが続いている女性とは親友で、彼女経由で消息と聞いたことはなんどかある。ただ、彼女の消息を聞くこともほとんどなくなり、彼女の存在もほとんど忘れていた。最後にやりとりしたのは、彼女も結婚退職し、妊娠してつわりがひどいといったことだったかと思う。

 その女性を今日、Facebookで発見。同姓同名で、括弧で囲まれている旧姓も僕の知っている彼女の苗字。その上、僕がFacebookでつながっている女性の友達になっているから、間違いないだろう。Facebookには彼女の子供と思しき子供が二人登場していた。

 一応、友達申請してみた。思えば、彼女に最後に会ったのは16年前。覚えているかどうかは分からない。おまけに、今の僕のFacebookには、僕の顔ではなく、ファンペルシのユニフォームを載せいている。どういう反応が来るかな?楽しみのような怖いような。

安倍晋三はこれで歴史に名を残し

 1945年8月15日の敗戦以降、平和憲法を作り、70年近く平和を守ってきた日本。平和を守れた理由はいくつもあるが、重要なのは日米安保の存在と集団的自衛権の否定であったかと思う。自衛隊は決して競争力の低い「軍隊」だとは思わないものの、非核三原則のある日本では、核武装する敵国に対抗することは困難。したがって、否定的見解もあろうが、米国の核の傘に守られていることが重要であろう。しかしながら、最近ではその傾向は弱まったとは言え、長く「世界の警察」、それも自分たちの西部劇的勧善懲悪の価値観による警察を演じてきた米国には敵も多く、したがって、米国とは一蓮托生ではなく、戦闘とは無関係な部分で協力するというのが、極めて賢明な選択であったかと思う。

 その枠組みを変えたのが本日の安倍総理による閣議決定であろう。安倍は戦後レジームという枠組みも全否定しているが、安全保障面でも既存の枠組みを破壊しようとしている。それも国民投票改憲の是非を問うことも、風向きが悪いとなると止め、3分の2が必要なところを過半数で改憲しようとしたもののこれも困難となるや、とうとう閣議決定という姑息なやり方でやり遂げた。公明党は元々期待できない。彼らの絶対的な目的は連立政権にとどまることだから、安倍に「なら公明党さん、連立から離脱してもいいよ」となれば、引かざるを得ない。ただ、支持母体である創価学会員になんとなく、「頑張ったね」と思ってもらえれば充分である。そもそも安倍のイエスマンでしかなく、体裁を整えれば問題ない。

 僕は、米国は大好きな国だし、日本国籍と米国の市民権のどちらか一つ選択せよと言われれば、仕事とか収入ということを無視すれば、米国の市民権を選択するかも知れないような人物である。しかし、米国の過去における好戦的な姿勢は決してほめられるもんでもないと思っている。そう思っている国、人は、世界的に見ればマジョリティではないか。集団的自衛権と言っても、要は同盟国である米国が攻められたら日本も自営という名目で攻撃に出るということである。つまり、70年近くどこの国も攻撃せず、侵略もしてこなかった日本が攻撃されるケースと比較して、武力行使を可能とするトリガーが引かれる確率は格段に上昇する。それに比例して自衛隊の負担も格段に上昇し、自衛隊員の危険も同様である。

 端的に言えば、戦争を放棄する国から戦争をする国へと変える決断をした安倍。何年か後に実際に戦争が起こった時には、「2014年7月1日に安倍総理集団的自衛権を行使したことが、今回の戦争の大元の原因」と分析されるであろう。22世紀に日本と言う国家がまだ存在していれば、その時に歴史教科書には「21世紀初頭、安倍総理は、70年間堅持してきた戦争放棄の方針を放棄し、戦争が出来る方向にかじ取りを切った」と記載されるであろう。それはまるで、我々が「松岡外相国連を脱退し、日独伊三国同盟を締結し、戦争に突き進んだ」ということを近代史として学んだように。

 でも、安倍を戦争に駆り立てる動機はなんなんだろうかと思う。彼の支持基盤が戦争によってぼろ儲けするのだろうか。「積極的平和主義」という欺瞞を、日本国民アジア諸国も見抜いている。中国と韓国を除き、日本に対する否定的な見方はしていないが、それは中国や韓国が日本より酷いと彼らが認識しているからであり、日本が褒められる状況にないことは明らか。日本が褒められるのは、戦後70年弱の平和主義に他ならない。

 日本の将来のために、今日と言う日はしっかり記憶しておこう。なんて言ってたら日付が変わった。

 

見たくないって・・・

 このブログを書き始めた理由の一つは、Facebookでは書けないことを書くこと。その一つを書こうかな。というか、毒を吐いちゃうぞ(笑)。

 Facebook友達の中でとある女性がいる。見てくれは良くないです。僕の感想ではブスです。Facebook友達は、基本的にはリアルな世界での友達がほとんどであり、その前に長年やっていたブログのように、ネットの世界で知り合って、その後、リアルな世界でも出会うというのとは正反対。なので、その女性もリアルな世界で友達で、お互いがFacebookやってることを知り、Facebookでも繋がった次第。ただもちろん、別にリアルな世界で見てくれに惹かれて友達になった訳でもはない。それはあり得ない。ただ、親しくしている友人、というか兄貴分のような人と飲んだ時、その女性も来たので、たまにやり取りをするようになり、食事も、一対一ではないけど、たまにしたくらい。

 とても不思議なんだけど、彼女は結婚している。その夫もFacebookしていて、そんなにブ男ではない。生命力は弱そうな、ちょっと影の薄い、近くで見たら向こう側が透けて見えそうな、「薄い」タイプ。でも、とにもかくにもブスな女性は結婚出来ました。そんでもって、数年前、妊娠・出産した。正式な年齢は知らないけど、40歳を超えた出産であることは間違いない。生まれたのは女の子。この女の子、まったく、かけらも可愛くない。恐らく、母親よりブス。でも、その女性、つまり母親のFacebookには、この子が生まれて以来、子供関連のアップばかり。そして、これ見よがしに、「うちのお嬢は可愛いでしょ?」的なオーラ満載でコメントを添えるのです。まったく同感しない。でも、その女性の友達が「〇〇ちゃん、可愛い♡」とか、そういう歯の浮くようなコメント書く訳で、これがまた笑えるというか、お前ら本当にそう思っているなら、即刻、眼科に行って来いと思う訳。

 そもそも、子供なんて親以外から見たらまったく可愛くない。そういうもんである。うちの息子ら二人でも、まあ、次男は、この父親の遺伝子とすれば見てくれは悪くはないが、長男なんて酷いもんだ。でも、そんなブサイク野郎でも、そのブサイクさすら可愛いと思ったのが親と言うもん。でも、それは親にだけ通用する「魔力」なのである。

 だからね。いくら可愛いと思っても、それはあんたとあんたの亭主だけが感じるもんだから。いや、あの影の薄い亭主は案外冷静に見ていて、「俺の娘だけど可愛くないなぁ。やっぱり母親がこやつだからなぁ」とうんざりしながら思っているかも。そう言えば、父親に抱かれているブス子ちゃんの写真のアップが少ないような気がする。

 今日もそのブス子ちゃんの写真があったねぇ。よくある、食べながら笑っている写真。でも、こっちはこれっぽっちも可愛いと思わない。でも、なんか怖いもの見たさに見ちゃうんだよねぇ、これが。昔の会社で、とってもブスな子がいて、でも、毎日そのブスを見ているうちに、一日見ないと、気持ちが落ち着かなくなったことがあった。「美人は三日で飽きるが、ブスは三日で慣れる」と言うけど、違うね。本当は「ブスは三日見ると中毒になる」だね。それを思い出したよ。あのいかにも人工乳たっぷりで育てられた頬垂れで目が糸のように細い笑顔。中毒になるわ。

 まあ、そういうことで、最初に「見たくないって・・・」とタイトルを決めたけど、案外楽しみにしている、でも絶対に「いいね」は押すもんかと思っている超スーパー天邪鬼の自分がいます。

 そのブス、実は今、二人目を妊娠中。その妊娠に関連して、この女、この女を紹介してくれたとある人に絶交されたらしい。その人が言ってた。その人はこの女とのFacebookも切ったらしい。彼曰く、「妊娠して、ビジネの勘が鈍った」そうです。まあ、元からそんな立派な勘があるようには思えませんが。まあ、彼女の二人目の子供は、ある意味楽しみ。

 さて、Facebookにはもう一人女友達がいる。リアルな世界では一度だけ会った。その時に携帯のメアドを交換したことで、なんかの拍子で友達申請をして、でも、彼女は僕だと分からずに承認したものの、最初は「どこかでお会いしたことありましたっけ?」というメッセージが来たほど。ただ、説明をしたら思い出してくれて、以来、頻繁にやり取りしている。この女性は美人。とても美人。一人子供が出来、最近、二人目が生まれた。子供がどうかと言うと、彼女や彼女の友人は、「夫に似て可愛くない」的なニュアンスで、僕も最初は「お母さんは別嬪さんなのに、子供は・・・」と思っていたけど、時が経つにつれて可愛くなるんだよね。やっぱりお母さんが美人だと、まったく別の意味で楽しみだわ。

 さて、ここに登場した二人の女性、僕のFacebookの誰でしょうか?(笑)

 

まだ終わった訳ではないけど・・・

今回のW杯は、日本のGLは、二試合を終えたところで1敗1引き分け。三試合目のコロンビア戦に勝たなければ決勝トーナメント進出はない。また、勝ってもコートジボワールが勝てば、日本はGL敗退。ただ、仮にGL敗退しても最後に勝てば「最初の二試合の無様さを考えたら、よく巻き返したよね」という感じで、「健闘およばず」といった印象を日本人に残すだろう。ただ、その可能性は低く、8年前のジーコ・ジャパンのように、「後から考えたら、見どころって一戦目の先制点だけだったね」となる可能性は高い。そうなった時に、日本代表に対する世間のバッシングは相当なものになるであろうし、中でもザッケローニ監督、ならびに、ザッケローニ監督を選んだ、そして、途中でザッケローニ監督を更迭しなかった側に対するバッシングは特に強烈なものになるだろう。

 その際、「どうして日本のサッカーや日本人プレーヤーをよく理解しない外国人監督にするんだ」という批判がまたぞろ巻き起こるだろう。でも、問題の本質は外国人監督の問題ではなく、外国人監督に対するサポート体制とコミュニケーションではないかと思う。

 今回のW杯、二試合を終えて、日本のマスコミや評論家の論調は「ザッケローニの選手起用や作戦に問題があり、選手はよくやっている」というものが多いように思えるが、対する海外メディアや海外の選手や評論家の意見は「選手がダメ」というものが多いような気がする。ザッケローニ母国のイタリアは、「ザッケローニの熱意にもかかわらず、日本代表は酷い」という論調であったかと思う。世界的な見方は、この後者であると思う。したがって、日本代表や日本サッカー界はザッケローニを批判するよりも、もっと自己を省みる必要があるのではないかと思う。

 ザッケローニは今大会の成績如何にかかわらず、今大会限りのようである。新たな監督も外国人になる可能性は低くない。しかし、今回のようなことが続くと、まともな外国人指導者は日本監督を引き受けてくれないのではないかと懸念している。

酷い試合だったけど、奇跡は起こる時は起こるもん

 いやぁ、酷い試合だった。もちろん、ワールド杯GP第二戦の日本対ギリシャ戦のこと。7時キックオフということで、僕は毎日、6時半に家を出て、7時45分に会社に着くという通勤なので、テレビでは当然観られない。通勤時間にはスマホでチェックできるのだが、なんとなく黒猫のウィズを優先してしまい(笑)、一、二回、経過をチェックしたのみ。会社に着いた頃、ちょうど前半が終わった頃で、ギリシャにはレッドカードが出て、11対10の数的優位で後半を戦えると、流石に負けることはないだろうと思っていたら、後半はやたらと攻められる。会社のPCのインターネットで確認しながらイライラする展開。日本もチャンスでも決めきれず、なにやら大久保は決定的チャンスを外して天を仰いだとか、そんな文言もあったりして、大久保は結局、大事なところでこれかよと、一層イライラする。

 結局、スコアレス・ドローという最もつまらないゲームで終わった。これで、最終戦にコートジボワールが勝てば、無条件で日本はGP敗退。いわゆる自力での決勝トーナメント進出がなくなったってことだ。日本が勝って、コート・ジボワールが引き分けか負ければ可能性が出てくる。コロンビアは既に決勝トーナメント進出を決めているから、何が何でも勝たなければいけないインセンティブはないので、僅かながら救いか。でも、ギリシャは想像以上に酷い。そのギリシャに数的優位でも勝てない日本は最低最悪なんだけど、まあ、何があるか分からないからね。確率的には決勝トーナメント進出は1%程度に落ちたかと思うけどね。

 ここまでの試合を見ていると、日本チームが奇跡でも決勝トーナメントに進出する資格はないね。その意味では、コロンビアとコートジボワールが進出する資格があるよ。とは言え、いきなり素晴らしい勝ち方をしたり、いきなり無様な負け方もあり得るから、まあ、死に水を取る気分で応援するか。

 それにしても、今日の日本チームは酷評されていたね。日本とあまり縁がなさそうな選手やOBが散々酷評してたよ。それがまた至極ごもっともな批判で。でも、これは日本チームがそれだけ注目されるようになったと、前向きに考えるべきなんだろうか。初出場の際は、3連敗しても、海外のプレーヤーがOBが批判することもなかった。第三戦では、そういった辛口のプレーヤーやOBをうならせる試合をして欲しいよ。

BSが観たいよぉ・・・

 今の家、玉川上水沿いで、緑が多くてとても良い。良いのだが、一つ大きな問題がある。それは、うっそうとした常緑樹の一群が家のそばにあり、BSアンテナが使えないことである。引っ越した時に何度も何度も角度を調整した。でも、無理だった。不動産屋に確認してみたら、木々が多くて見られないとの回答が。仕方ないのだが、大変失望した。

 実は我が家ではBSしか見ないという期間が、恐らく5年以上10年未満あった。簡単なことで、地上波のアンテナが壊れたのである。恐らくは落雷したのであろう。当時は今の前の家で、大家さんとの間では、どうせ今、アンテナを付けてもすぐに使えなくなるので、地上波が観られなくなり、地デジに完全移行したら、アンテナを付けましょうという話になっていた。ただ、地デジに移行する頃には、その家を出ることになった。

 当時のBSはNHKのBS-1とBS-2の2チャンネルのみ。でも、意外に楽しめるものである。しかも、定期的に映画を、しかも字幕スーパー&ノンストップ(CMなし)で放送される。これは録画して完全保存版にするのに誠に好都合であった。加えて、僕の好きな海外、特にアメリカのプロスポーツの放送が楽しみであった。

 今の家ではBSが観られないので、NFLを見ることもまったく出来なくなってしまった。とても残念。

 新しい家は、BS用のアンテナに支障となりそうな大きな障害物はなさそうである。次のシーズンのNFLポストシーズンには間に合うかなぁ。

サッカーW杯の喧騒に思いをはせる

 昨日のコートジボワール戦、なんか別のことをしていて、「おっと、忘れてた」と慌ててテレビのある部屋に行ってチャンネルを探して、観たら、得点掲示がどうも「0-0」ではなさそう。わざわざ眼鏡を外してテレビに近付いたら、日本が1点リードしていることがわかり、余裕の気持ちで観始めたが、結果的には1-2で敗北。なんとなく、8年前の初戦を思い出してしまった。

 思い返せば8年前、つまり2006年のW杯の日本にとっての初戦であるオーストラリア戦は、友人数人と、その友人の部屋で観た。その友人は、中高の同級生だが、中高ではサッカー部であり、サッカーを語らせたらちょっとうるさい奴。僕は、小学校の低学年で、何故かわざわざ大阪から富士山のふもとにある合宿所でのサッカー合宿に1週間程親の命令で参加させられるたのをきっかけに、結構なサッカー少年だったものの、小学校でのクラブでサッカー部が抽選で当たらなかったという不運もあり、中学では母親が「テニス部が格好良さそう」という理由でテニス部に入部させられ、プレーする方のサッカーからはどんどん遠ざかっていき、今日に至る。だから、その友人の「俺たち経験者は、ボールを持っていない選手を注目する」なんて玄人ぶったコメントの連続にかなり辟易しながら観ていた。確か一人、DFの宮本の熱烈なファンがいて、ただ僕は大阪のサッカーチームはなんてったってヤンマーの流れをくむセレッソであり、ガンバが嫌いなもんだから、宮本も嫌いで、その女が宮本と叫ぶたびに、宮本の問題点を指摘していた。そしたら、その宮本の守備のほころびで終盤に連続失点し、敗北。結局はその敗北から立て直せずに予選敗退となった。

 日本が最初にW杯に参加した1998年から今回が5回目。前回までは、予選敗退と予選通過が交互に来ている。岡田監督で敗退、トルシエで通過、ジーコで敗退、オシムの代役としての二度目の岡田監督で通過。さて、今回は。これまでの流れを見ていると、攻撃的になれない日本が暗中模索している気がする。ジーコ監督は攻撃的で面白いサッカーだったと思う。個人的には非常に好きな監督だった。でも、アジアでは通用した攻撃は世界では通用せず、いまいち攻撃的になり切れず、一方で守りきることも出来ずに、結果は惨憺たるものとなった。オシム監督は日本サッカーの事情も充分に理解しつつ、そこそこ攻撃的であったが、病に倒れるて再登板した岡田監督は、当初はオシム路線を踏襲したものの、強化試合の結果で、W杯本番では完全に守備的な戦略で予選通過を勝ち取った。これはこれで偉業であるとは思うが、結局これでは予選通過が精一杯ということで招聘したのがザッケローニであったのではないか。ザッケローニの攻撃的なサッカーも僕は好きである。しかし、どうもザッケローニの攻撃サッカーは、いまのところ世界水準では通用しそうにない。次のギリシャ戦では修正はするだろうが、かといって大きな変化は期待できない。上手くいって1-0での勝利程度ではないのか。

 世界に通用する攻撃力を中長期的に身に着けるという戦略は、止めて欲しくない。ザッケローニ監督は、結果がどうあれ、この大会でもって退任であろうが、次も同様な攻撃型の監督をして欲しい。

 なんだかつらつらと書いたけど、正直言って、今大会で日本が一勝する確率は20%程度しかないと思う。予選通過の確率は恐らく5%もないと思う。そう覚悟を決めている。ただ、この4年間を無駄にしないためにも、ザッケローニによる日本の攻撃的なサッカーが世界に通用するという点を少しでも見せて欲しい。